プロフィール

出張整体師・中村一弘(通称jonny)

店主:出張整体師・中村一弘(通称jonny)
大阪府枚方市在住。
生まれてほとんどをこの地で過ごし、終いには大阪府枚方市の御殿山駅前で整体院を開業してしまった、大阪特に御殿山大好き人間。

腰痛・肩こり・ストレス・疲労回復・寝違え・背中痛・骨盤修正・姿勢矯正何でもござれ。
優しく体に語り掛けるような施術で体のバランスを調整します。

人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになれる。

何故、整体がみんなを笑顔にするのかって?それは実際に当院の整体施術をご経験ください。百聞は一見にしかずですぞ。
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ブログ版・笑顔のススメ整体院/大阪府枚方市の出張整体師の本音
大阪府枚方市で小さな学習塾をしながら、笑顔をお届けするために出張整体師をしています。これを読むあなたに幸せと癒しの波動を送ります。
愛を支える法則って・・・
「愛」と言う現象を支える法則ってエントロピーの法則だな。

いちいち説明するのも面倒だけど。

「流れ」を見てみたらいい。

エントロピーが増大して極まった時、

自他の境界線は存在しなくなる

つまり「愛」の目指すところ、合一となる。

ただし、そこには与える「愛」と受け取る「愛」がなければならないけど。

受け取る側が心を閉ざしていれば、流れは止まる。

神の「愛」とは宇宙や自然から自分に流れ込むエネルギーのことに他ならない。
また、自分から流れ出るエゴの作り出した「業」を受け入れるその器に他ならない。

そして、我々は自然を愛し、オープンで居続けることで、
自然との境界を消滅させて、「私」を消し去っていく。

つまり解脱。

そのヒントはいたるところにあるのに、
精神世界オタクは怪しいところにそれを求める?

求め続ける限り、境界線は消えないのに・・・

エントロピーの法則、是非検索してみてください



お茶にご招待
整体のお客様にお茶の先生がいる。

今の施術陰のお隣のおうちなのだが、とっても大きくて古い家だ。
そこに、蔵がいくつか在って、離れに茶室が在って・・・

まあ、この辺りではそれ程珍しくもないのだけど、貧乏な家に育った私にとってはその塀の向こう側と言うのはまったく縁のない世界。

そのお家に出張施術で毎週出入りしていて、施術後にいつもお茶を呼ばれてはいたのだが、今日は家族全員でご招待。

こちらは作法も何も分からないので、どうしたものかと思ったりもしたが、ちょっとお茶を飲むだけのことだから気楽にどうぞ、という事で謹んでご招待を受けてしまった・・・。

お気楽にと言っても手ぶらはまずいだろうと思って、前日に百貨店でお菓子を用意。
普段人付き合いがない私にはこう言うことがとっても苦手。

約束の時間になって、少しだけ小ましな格好で家族5人ぞろぞろとうかがった。

すると、炉にも火が入れられていて、お弟子さんが準備をされていた。

ん?何だかいつもの施術後のお茶とは訳が違うぞ・・・

そう、参加者は我が家だけのプチ茶会。

お作法についても簡単ながら説明を受けながらお茶を頂くことに。

ん〜、いかんぞ、子供たちはこういう場での振る舞いなど一切躾けていない。
と言うか、私自身が躾けられていないので良く分からない。。。

とりあえず、あたふたしてもしょうがないので、口数少なくじっとしていることにした。

すると長男次男。
思ったよりちゃんとできるじゃない。

特に次男が場の空気を読んでいたのに関心。

三男は4歳の割に幼いのでだめだめモード。

こういう場にいると、それぞれの性格が際立ってくる。

ついに三男は辛抱ならず、庭に解放。
次男と一緒に庭を走り回る始末・・・

30分ほどのことだと思っていたら、すでに1時間半。

結構お茶と言うのは骨が折れるぞ・・・

次はひな祭りの頃に野点だとか。

しっかりと家族で心の準備をしておかないとね。







プラモデル船・ラジコン化計画
長男のクリスマスプレゼントは中古の2チャンネルラジコンプロポセット。

中古というのが貧乏人一家らしいところ。

私が小学生くらいの時に、同じものを年玉はたいて買ってラジコンカーを走らせたり、無謀にもグライダーキットを買って飛ばそうとしていたことを話していたら、食いついてきたので近くのリサイクルショップで見かけた奴を買ってきた。

最近はあまり模型店もなく、在ってもラジコン関係製品を置いているところは少なくなった。

だから、ラジコンと言えば完成品のおもちゃと言うイメージが子供にはあったようだけど、自分で色々と作れるのだと言うことがわかって彼の創造力が刺激されたらしい。

最初はグライダーが作りたいと言っていたが、それはリスクが大きすぎる。。。
車はラジコン用の模型も多いが、半完成品で面白くない。
かといってプラモデルから改造するのはかなり手間がかかる。

比較的簡単で失敗のリスクが少ないのは船だ。
しかも、現在長男次男は軍艦マニアになりつつある。
既に部屋は戦艦や空母のプラモデルで溢れつつあるのだ。

そこで、ラジコンのメカを乗せても沈まないだけの大きさの戦艦をオークションで物色。
今はプラモデルの値段も高い。

5000円くらいは当たり前だ。

たかがプラスチックの塊にそんな価値があるのか・・・

そうは言うけど、私も子供の頃には良く買ったもので、見ているとやっぱり何だか嬉しくなってくる。

発見。
350分の1のドイツ戦艦ティルピッツ
送料込みで4300円。

先週届いて、子供は早く組み立てたいと言っていたので、ラジコン部分以外は先にやらせておいた。

そしたら、さっさと終わらせて、私の担当部分のコントロール部分の改造加工を早くやれとせっついてきた。

う〜ん、イザやるとなると面倒だな・・・
でも、長男にはまだ早いと言うか、未経験なのでどうして良いかわからないだろう・・・

モーターの前進後進のスイッチは市販のものを使おう。
しかし、舵のコントロール部分は自作しなければならない。
でも、金属やプラスチックの加工成型などできんし、どうしたものか・・・

それが決まらないので、手が出せなかった。

ええい!
考えるのも面倒だ。
とにかくやりながら考えよう。

受信機やサーボ、バッテリーの位置を決める。
元々がモーターライズできるものだったので、駆動部分についてはそのまま使おう。

それと船だから防水性が問題。
浸水しても沈まないように発泡スチロールを入れておこう。

それから、ラジコンのメカが水浸しにならないようにもしなければ。
さて、どこで区切ろう?

色々試行錯誤しながら決めていった。

舵についても竹ぐしとストローとタコ糸でコントロールできるように加工。

やっぱり案ずるより産むが易し

思ったより簡単に何とかできた。

横で長男はずっと分かったような分からんようなことを言いながら、手伝っている。

珍しいんだろうね。

プロポの操作で実際に舵が動いているのを見て、目を輝かせて興奮していた。

前進後進のスイッチもちゃんと入る。

でも、肝心のモーターを買うのを忘れていた。。。

おかげで試運転は来週までお預け。

ちょっとがっかりだけど、長男の頭の中では既に全長70cmの大型プラモが近くの川を走っているイメージでいっぱいらしい。

これが成功したら、またあれしたいこれしたいと言い出すんだろうね。

また、面倒なことを子供に教えてしまったのかもしれない・・・







今年もお世話になりました!
本厄の2009年もお終い。
(神様的には来年の2月4日まであるのでまだ厄年なんだけど・・・)

久しぶりに暇の少ない一年でした。
と言うか、生きているな〜と言う実感がひしひしと染み入ってくる一年。

そんな感じかな〜?

一番の印象はとにかく痩せました!

3月には86キロあった体重は、最軽量のときで64.8キロ。
現在でも65.4キロ。

今も一ヶ月に0.5キロペースくらいだけど減っています。

あまりにも急激な減り方にお客様からは病気かと心配されたり、ご近所さんや嫁の友達からは癌じゃないか?と思われていたり(笑
でも本人はいたって健康。
何せ、減量当初は500メートル走ると息が切れて立ち止まっていたのが、今は隣駅までなら走っていくのも楽勝。

元々学生の頃には62キロ(最軽量で57キロ)しかなかったから骨格が細いので、今でも少し重いくらい。
それでも嫁のジーンズを履いたりするとちょっと嫌味?

やっていたことは、毎日30分から40分のランニングと我流の太極拳、それに間食を取らないこと。
一時はシャングリラダイエットと言う怪しいものをやっていたり、最近は大量の唐辛子を摂取したり。
そう言えば、ヨガのポーズもするようになった。

まだまだ食欲旺盛で欲に任せると、すぐにリバウンドするので体重計とのにらめっこは続きます。

でも、そうしてでも体は軽い方が良い。
気分も軽いですから。


その次に合ったこと。
職場の引越し!

駅前から、ぼろぼろの民家を借りて住宅地の中に引っ込みました。
でも、そこには私の思い描いていた空間がありました。

あまり目立たず、静かで少し和のテイストで、空間的に余裕があって私の荷物を収容できる。
つまり私の隠れ家!

正直言って、ここで施術をするのは州に五人いるかいないか。
殆どが出張だけど、それでも今までのように下の自転車屋さんのことを気にせずに朝早くでも夜遅くでもできると言うのはありがたい。
おかげで整体の売り上げは安定して来ました。

そして、ここの二階で塾の指導も。
塾の生徒は引っ越して多少通塾に不便になったにもかかわらず、誰も止めることなく逆に4年ぶりに20名を超えました!
まあ来年はそこまでは行かないかもしれないけど・・・

とにかくこの引越しはあらゆる面で良いことだらけ。
駐車場も借りる必要がなくなったのと家賃が安くなったので経費も年間30万円以上節約できるようになった。
家までの距離も縮まって今まで以上に気楽に行き来できるようになった。

それから、トライクと言う3輪のバイク?も乗るようになりました。
引越しのドサクサの中、yahooオークションで乗りで落としてしまったのだけど、これが結構面白い。
今は寒いのでちょっと活躍する機会は少ないけど、故障が多い中国製と言うこともあって、とにかく自分である程度はいじれないといけないと言うことで、工具を買って、簡単なメンテナンスはちょこちょことしていました。
初めてのことをすると言うのはやっぱり楽しいです。

エンジンオイルを変えたり、ブレーキ液を変えたり。
違法にならないようにテールランプを取り付けてに配線をいじったり。

この歳でできることが増えると言うのは成長したような気がして嬉しいものです。

さすがにエンジンを分解したりと言うことはする気にはならないけどね。。。


あれこれとやっているうちに人生のテーマがより具体的なものとして浮かび上がってきたりもしました。

それが坊主になりたいという気持ち。
お客様や生徒と話しをしているうちに、心や生きる覚悟についてもっと語れる場が必要だと感じるようになりました。
元々中学生の時から坊主になりたい願望はあったのだけど、当時は自分の為だけの憧れ。
今も自分の為ではあるけれど、そこに人がいなければ意味も半減する。
これも成長?
自分以外の人の存在がその動機を強化します。
今回の気持ちはただの憧れでは終わらない予感。

そして、どうすれば坊主になれるのか?を調べていく中で今まであまり好きでなかった他力宗の浄土真宗などについてもある程度寛容になれたというか、そう言う考え方もありだと思えるようになりました。

しかし、やはり法華経はだめです。
どれだけ良いことが書いていようが受け入れられない。
明らかな初期仏教蔑視の態度がそこにはあるから。

それはお釈迦様の説いたものではないことを示している。
また、お釈迦様の精神を継いでいないことも。

法華経はとても高慢なのだ。

その荘厳なストーリー展開に圧倒されて、洗脳される人も多いのだろうけど、それはも仏教の名を騙った新興宗教だ。
法華経ではなく法華教ということだ。

まあそれはいいや。

とにかく坊主を目指そう。
その中で現実的な選択肢が浄土真宗だったりする。

僧籍は取れなくても、そう言う人たちに匹敵するだけの勉強はしよう。
そして、瞑想などを通しての思索も。

勉強しても書いていることを覚えるだけでは意味ないから。
経験と思索を通して書から学んだことを熟成させてその真髄を体得しないといけないと思う。

しかし、生活の中だけで感じ取ろうとすると、生きることを無条件に是としてしまう為に、そこにも落とし穴がある。
本来は生きるも死ぬも同価値なのだから。

その生へのとらわれから解放されることが不可欠なのだ。
解放されることで真理に気付けるスペースが心に生まれる。
真理に気付き、真理を見続けることができることが苦しみからの解放だ。

お釈迦様が伝えたのはそれだけだ。
救済の為の仏がいるなんて言っていない。
自分の目で真理を見つめることでしか人は救われない。

それに気付くには日常生活をとめる瞬間が必要。
それが禅。

そして、念仏の中にも私は真理に気付く方便を見た。
単にすがるのではなく、没頭するのだ。

その先にあるのは、法則の中で漂う自分の姿。
法則の波に翻弄されて、その正体に気付くことができずに苦しむ自分の姿。

その姿を目の当たりにするために念仏は有効なのだ。

そんな妄想の中、人生始めての座禅会にも参加した。
正直言って、ADHDの私には30分の静止と言うのは苦痛以外の何物でもない。
その動きたい衝動を見つめ続け、動き続ける妄想を見つめ続けることはとても意義のあることだと実感できた。

一歩前進。
一つ確信。

そして、僧籍にこだわらないで念仏道場を作ろうと思うようになった。
禅は素人だけでは難しすぎる。
でも念仏なら・・・
そこで何かを教えたりするつもりもない。
ただ、一人一人が念仏を通して真理を見つめることができれば、と言う思いがある。

そして、そこでのご縁でカウンセリングまがいのことをしたり、ヒーリングや整体などをすることもあろう。
寺子屋のような勉強を教える場所にも。。。

そんな悩みの種を掘り返して捨てていく場所を作りたいのだ。
そして、気楽に立ち寄れる憩いの場所になれば言うことない。

そんな場所を賃貸のスペースでやっていけるわけないので、土地や家も探し始めた。
お金はあまりないし、家のローンも残っているので新たなローンも組めない。
できるのは事業用資金の借り入れくらいだ。

とにかく、10坪以上の土地で100万円から250万円くらいの土地を探しています。
もし、半端な土地を譲っても良いという方がいれば教えてください。

家なら、連棟でない個建て。
そうでないとお隣さんが念仏に悩まされることになってしまうので・・・

又はただ同然で使わせてくれる物権があればよろしくお願いします。

これらはご縁のもの。
無理にお金を工面するのではなくて、そう言うご縁を私が持っているのなら自然とそろうものだろう。

安い土地がないなら、収入が増えて現金で買える物件の上限が上がったりね。

だから、無理はしません。


そして、夢はそれに留まらない。
まだまだ、続いていきます。


来年にはその続きが語れたらいいな。
その為にも一つ一つこなしていこう。

まだ、時期じゃないからとか自信がないから言ってボーっとしている訳には行かない。

死ぬまでの時間を意識したら、この一秒に何ができる?
ということに真剣にならざるを得ない。

もうだらだら生きるのはやめだ。

それを決意できたこの一年でした。

それもこれも、私とその家族の生活を支えてくれる皆様のおかげです。
それがなければ私は日常の生活に埋没し、ただ食べる為にだけ生きる糞袋になるところでした。

今でも糞袋には違いありませんが・・・

支えてくださる皆様のためにも、皆様に癒しを提供できる光る糞袋であり続けようと思う次第です。


ありがとうございます。
そして、来年もよろしくお願いします。

感謝感謝感謝
なかむらかずひろ



緊張、張り詰めた空気、座禅体験
日曜日は念願の座禅体験。

先月は一週間勘違いして、がっかりだったけど、今回は何度もカレンダーを確認して出発!

9時までに京都御所裏の相国寺に行かないといけないので、6時過ぎにおきて7時に出発。
出町柳から歩いて20分くらい。

まだ、殆ど人のいない境内は気持ちも引き締まる。

これから、座禅だな〜、正直言って不安。

何故なら一人でしていると15分が長いの何の・・・
元々ADHDの私はじっとしていられないのだ。

それが、この日は25分が2セット。
ほんとに大丈夫?

自分に聞きながら記帳を済ませた。

初心者の待合室に入ると既に来ている人がいる。
みんな緊張しているね。

説明の雲水がやってきた。
やっぱり禅寺だ。
その振る舞いの凛々しさに見入ってしまう。

う〜ん、坊主になりたいと言ったものの、ああいう立ち居振る舞いや心の静寂は私には無理だな。。。
これも禅の修業の賜物か。


説明の後、別室へと移動。
そこには既に複数回の参加者が座っていた。

薄暗いその部屋には40人くらい?

誰も音を立てない。
静かだ。
静かだけど、エネルギーに満ちている。

しかし、そのエネルギーは方向性を持たないエネルギー。
いわゆる流れを感じない。

それは、「空」のエネルギー。
つまり、何にでもなりうるポテンシャルを持ちながら、その時を待つエネルギー

ライブハウスや、デモ行進などに発生するエネルギーとは全然違う。
そこには具体的な流れがあるのだ。
どこに向かおうとするのかと言う意図がある。

これこそが禅だな〜。
禅のエネルギーには方向性がない。

それを持てばもう禅ではないのだ。
ただの願望成就の為の瞑想になってしまう。

この禅の場にあるエネルギーが何かに触れて、脳内で爆発しスパークする。
その瞬間が「悟り」

そして、脳内に映し出される空のエネルギーが具体的なものへと変化していく様子が悟りの内容

そうやって意図されることのない自然のあり方を体感するのが禅なのだろう。

それをステップバイステップでテーマを決めて観察するのが臨済宗の公案禅。
ただ座り続けることでダイレクトに全てを体得するのが曹洞宗の只管打座ということか。

今日のお寺は臨済宗なので前者であるが、初心者は和尚との問答もないのでただ座るのみ。

合図がなって始まった。
さあ、もう逃げられないぞ。
25分。ただ座るのだ。

半眼で足を組み手も組む。
息は数息観でゆっくりと数える。

習性で計算してしまう。
だいたい75回で一セットか・・・

頭がじ〜んとしてくる。
いい感じだ。
時間の流れが気にならない。

しばらくすると、あちらこちらから咳の音。
そして、僧が警策をもって歩き出した。

自分の前に来たので、手を合わせて打ってもらうと目が覚めた。
これが25分の中で2回来る。

そうやって思うと25分なんてあっという間だな〜。

半眼で前を眺めていると、両目の視点がずれてくる。
すると、ものが浮かび上がったように見えたりしてくる。
手足の感覚もなくなってくるので、ある意味神秘体験に近い感覚。

それを楽しんでいたら、終了の合図。

あっという間の25分。
しかし、全然心が空っぽじゃなかったな〜。

まあ、最初は好奇心の方が大きいのだからしょうがないか・・・

3,4分の休憩の後、2回目。

今度は警策はないのだけど、初心者でない人の参禅の為の合図で鳴りものが定期的に鳴らされる。
これがまたちょうど良い。
その都度自分の心の状態を元に戻す。

これもまたあっという間の25分だった。

そして、和尚の法話。
臨在録の購読だったのだけど、面白くない。
何故この和尚はこんなに話が下手なんだ・・・

そう思うのは分別なのかもしれないが、心に響かん。
禅宗の坊主なのに腹の底から話をしていないのだ。

素人相手だと本気になれないのか、遠慮しているのかは分からないけど、こんなんじゃ禅なんてこんなものってなめられちゃうよ。

もったいない。

とりあえず年明けは1月の第4週と言うことなので、また行ってみようかな?

ご興味ある人、私に会いたいという人はその時にお会いしましょう〜。

行ってなかったらごめんなさい。
まあ、禅の体験をするだけでも十分元は取れると思います。





ヤマト復活
土曜日に子供三人連れて映画を見に行った。

宇宙船間ヤマト復活編。

うちの家では2年ほど前から宇宙戦艦ヤマトは静かなブーム。

と言うか、私が懐かしがってビデオを見ていたら、子供たちがはまった。

何故かプラモデルまで家にはある。

と言う訳で、朝の仕事を済ませて枚方の一号線にあるシネコンへ。

さすがにワンピースと仮面ライダーは完売。

ヤマトはというと、がらがらだよ。

さすがに今の人たちには馴染みないよね・・・

しかもキャラクターデザインが松本零二風じゃなくなって何だかな〜。

ストーリーは三十年前には当然の勧善懲悪もの。

しかも、その時の社会情勢を風刺する内容だ。

今回はどう見ても、アメリカの対アラブ戦争と日本がどうあって欲しいかのメッセージと言う安直と言うか、独創性のない設定。

そして、主人公の都合に合わせて話は進む!!!

いかにもヤマトだ!

しかし、これだからヤマトなのだ!

そして、それは日本のあって欲しい姿でもあるから、見入ってしまう。

でも、どうかね。
いまどきの若者にそのメッセージは伝わるのかな?

そう思うと、がらがらの観客席は現代の日本の精神の空虚さを表しているような気がして寂しかった・・・

今の日本人には自ら捨石となって、大切なものを守ろうと言う気概は期待できないだろうしね。

本当に独立国家としての誇りを守りたいなら、安保を破棄して基地には出て行ってもらうと宣言するのが筋だろう。
その上で、国際平和のために日本国として最大限の努力を図ればよい。

アメリカの防衛戦略に文句も言えないで、日本は本当の平和には貢献できる訳もない。

例え、安保破棄してもアメリカが基地に居座るのであれば、それは立派な占領行為だ。
それを排除する為にこそ自衛隊はある。

たとえその戦いに敗れアメリカに占領されることになろうとも、独立した国家としての誇りは捨ててはいけない。

経済の豊かさよりも精神の自由、誇りの方が守られるべきもの、と考えるのは危険思想か???

ヤマトの復活はすなわち日本人の誇りの復活の祈りでもあるのだろう。

しかし、その思いは空回りしそうだね・・・


テーマ:独り言 - ジャンル:その他

古くて新しい夢
久しぶりに更新です。
その間にもちょくちょくといろんなことはあったのですが、最近はあんまり書こうとも思えない。

一種の引きこもり?

とりあえず、やりたいことが芽生えてきてそれについてあれこれ思いを巡らせているのが楽しかったのです。

そのやりたいこととは、

僧侶になること

ほんとうは高校に入る前後から、なりたいと思っていたものでした。
しかし、煩悩いっぱいの私はその欲望を断ち切ることもできず、ずるずると娑婆の世界に生きてきた訳です。

それはそれで充実もしてきましたので文句はありません。
ただ、その間も宗教や精神世界的な事柄への思索の旅は続き今に至るのですが、ある程度以上踏み込んでくると、生死に関わる話についても絡んできます。

その時に、ただの一般人が死後の世界を真顔で語ると、普通の人はやばい人と思われます。
これってカルト???みたいな。

特に私が感じている死生観は伝統的に一般の人が思っている日本仏教の死生観とは乖離しているものですので・・・

しかし、本当にお釈迦様が見たものは・・・と言うと、かなりシビアな世界です。
しかし、それは本当の意味での救いでもあると感じます。

そう言う本当の救いを語っても、人にカルトと勘違いされないようになる為に、既存の宗派の僧侶に一度なってしまおう。と言うのが今の気持ち。

そして、そこから踏み込んで宗祖の教えを否定するものになるかもしれないのですが、それはそれで構わない。
所詮それぞれの宗派は、釈迦の教えの宗祖の解釈をよりどころにした又聞き集団です。

また多くの組織では、釈迦の教えよりも宗祖の教えの方を優先して、教祖釈迦の影が薄くなってしまった、仏教系新興宗教でしかありません。

でも、そう言う教団が伝統仏教をなのり、多くの日本人がそれを正しいものと思っている以上、そこを入り口にしていけばいいや。と言う発想です。

入り口はそれでも、信仰は教学を学ぶことではありません。
あくまで個人の体験と体験に基づく理解です。

ですから、教学を突き破ってさらに踏み込んでコア、つまり釈迦の教えに近づいていけばよいのです。

宗祖の教えの枠内で安心していると言うのは信仰ではありません。
ただの思考停止、人間を辞めただけのことです。

そう言う信仰を実践する場を提示していきたいと言うのが今の夢。

だから、例え僧になっても私が活動を始めたら、即その宗派の僧籍は剥奪されることでしょうね(笑

それでも良いのです、一時は沿うとして認められるまで伝統仏教の宗派の教えを学んだと言うことが経歴としてあれば。
そうすればただの素人が好きなことを言っていると言うことにはなりません。

学んだ末に、その宗祖の枠に収まりきれないものになってしまったということになるだけです。

それは、生活の安定のために坊主をしているようなのがたくさんいる堕落した伝統佛教界には、本気で真理を求めて救済のために活動している人がどれだけ少ないかを証明することになるでしょう。

さて、ここで問題は僧籍を取得するには、師僧という本山に推薦してくれる人がいないといけないと言う点です。
勝手に坊主になりたいと言っても許可がないとなれないのですね。

そこには色々と利害関係もあるようです。
お金もかかります。
全然開かれてないじゃん、佛教界。

まあ、仕事として坊主になろうと言う、訳の分からん奴がいるのも問題だね。
世襲でそう言うものだからと深い動機もなく坊主になってしまう尊敬のしようのない人も多いしね。

地獄の沙汰も金次第と言うのは、坊主の行いが生み出した言葉じゃないかね???

とりあえず、今の仕事を続けながら学ばないといけないので、狙いは浄土真宗なんですが。。。
歎異抄を読んで、ちょっと浄土信仰への私の解釈にも変化がありましたし。

でも、本当は一遍上人の方が、私の理解には近いのですが、養成機関がない!(西山短大にはあるのだけど・・・)

こんな私ですが、師僧となってくださる物好きはいらっしゃらないでしょうか。。。
勉強はまじめにしますので。
それと念仏行も。

誰が、ご紹介下さい。。。。



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