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| プロフィール |
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店主:出張整体師・中村一弘(通称jonny)
大阪府枚方市在住。 生まれてほとんどをこの地で過ごし、終いには大阪府枚方市の御殿山駅前で整体院を開業してしまった、大阪特に御殿山大好き人間。
腰痛・肩こり・ストレス・疲労回復・寝違え・背中痛・骨盤修正・姿勢矯正何でもござれ。 優しく体に語り掛けるような施術で体のバランスを調整します。
人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになれる。
何故、整体がみんなを笑顔にするのかって?それは実際に当院の整体施術をご経験ください。百聞は一見にしかずですぞ。 整体の施術については 大阪府枚方市の出張整体・笑顔のススメ施術案内へ
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| 小さな哲学者? |
週末、京都の新京極を家族でふらついていた。
暇とちょっとお金があると、本屋さん目的に京都まで出てくるのだけど、正直言って本を買うよりも電車賃や外食費が出費のほとんど。 一人で出歩くと、嫁の機嫌が悪いのである意味家族サービスと言うことなのだろうけど、おかげで余計な出費が多い。
嫁の言い分は私が本屋に行かなければ良いだけのこととなるようだけど、そう言うわけにもいかない。(理由は無いけど・・・)
誓願寺の前が小さな広場になっている。 子供達はここではとと戯れるのがいつものパターン。 しかし、この日は鳩は居ない。
長男は垣の根元を物色。 こんなところでも生き物探しかよ。
次男はフェンスに掴まって池?の周りを冒険ごっこ。 危険好きな奴だ。
三男は・・・ 池の前に座って水を眺めていた。 段々になっているところを水が落ちてくると一番下のところでは泡ができては、しばらく漂い消えていく。 それを眺めているようだった。 たまに、小石やごみを投げ入れては自分で泡を壊して楽しんでいる。
隣に座ってその様子を眺めていた。 まだ、3歳になったばかり。 ちょっと背が小さく、年の割りに声が幼く舌が回らないので、まだまだ赤ちゃんに見える。
その三男がポツリと言った。
「泡は無くなるとどこに行くんだろう?」
う〜ん、シンプルであるが奥の深い質問だ。
「どこに行くんやろね〜?」
あえて講釈はたれずに、問いかけ返した。
「泡は水になるねんでぇ〜」
嬉しそうに話をしている三男。
そうだねぇ。 それはとうちゃんのこの人生のテーマでもあるんだよ。
それが、当たり前のこととして、何事にも当てはまることが実感できれば、君の人生には「不幸」の二文字は訪れなくなるだろう。
しっかりと身の回りの出来事を感じて生きるんだよ。
そうすれば、君は生きる姿を見せているだけで、人の心を救える人にもなれるかもしれない。
それはただの親ばかかもしれないけど。
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| しつけに問答は無用 |
週末、家族そろっての夕食で、鳴り響く怒号。
はい、その日も私はかみなり親父です。
いつものことなのですが、長男は箸を持ちながら、もう一方の手で食べ物をつまんで口に入れる癖があります。 下の二人もそう言うことはしないのですが、長男はどうも無意識のうちに手が動いてしまうようです。
手がべたべたになってあまりにも見苦しいので、普段から注意をするのですが、本人が料理で手が汚れることに何の抵抗もないので治らない・・・。下の二人は、ソースがつけばティッシュで拭いているくらいなんですけどね。
こういう感性の違いも障害と関係あるのだろうか・・・あれば治らないな・・・
とりあえず、汚れるとか汚いとか言うことを言っても変わらないので、じゃあ左手は絶えず食器を手に持つように言っているのですが、熱かったりすると手に持てないので、そう言うときにその悪い?癖が 出てしまいます。
この日もそうでした。 熱くて持てないというので、じゃあ食器に手を添えておくように言いました。
言われたようにして食べていると、長男がポロリ・・・
「こんなしていても意味ないやん・・・」
私がその言葉を聞き逃すわけありません。
「お前は四の五の言わんと言われた通りにしていたら良いんじゃ! お前がどれだけ、そうしろと言われているのか分かってるって言うんじゃ。 分かりもせんで偉そうなこというなら、外で食べろ。 猿は家で人間と飯を食わんでええんじゃ!
意味あるかないかを、お前の両の手の指の数にも足りん薄っぺらい人生の年数で判断しようとするな!何様のつもりや?
40年生きている人間が考えた上で言ってることじゃ! 素直に言われた通りにしてみろ! それを何百回もやってもわからんのやったらその時初めてその意味を聞く資格があるんじゃ! できもせんうちから偉そうに言うな!」
「しつけ」は漢字で「躾」、つまり美しい身のこなし、見ていて不快を感じさせない動きや生き方の事だ。 それは、理屈ではない。 その美しさとは理屈で感じるものではない。理屈で作り出すものではない。
体が覚えこむものなのだ。 だから、いちいちすることに理由を教える必要などない。 それよりも、意味も分からずに体が覚えてから、後々に経験を通じてその意味をじんわりと味わっていくことの方がそのありがたみが良く分かる。
理屈から覚えたものは、どれだけやっても思考が先行してしまう。 それでは自然な美しい動きしぐさにはなかなかなれない。
マナーや作法と言うものは、物心つくころから、何年もかけてそうやって親や周りの大人から仕込まれていくものだ。
そのためには、おかしな対等意識は要らない。 自分より年長の人や自分よりも作法を身に付けている人、「美」の感覚を身に付けている人の言葉を素直に聞く耳を持つことが全てだ。
最近の若者や子供にはそれがないのが見ていてうんざりだ。 親や学校の教師が彼らを甘やかせ過ぎた。 おかしなと言うか、勘違いの権利意識、人権意識を刷り込んでしまった。
私がきちんとした作法ができるわけではない。 貧乏で教養のない両親に育てられたのだから、決して上流社会に通用する身の振る舞いができるわけではない。
しかし、最低限の身の振る舞い、審美眼だけは伝えてもらったように感じている。 それは、自分より年長のお客様をずっと相手にしてきて思う事だ。
23で学習塾業界にはいり、ずっと年上の父母面談をこなしてきた。
整体を始めてからは、80半ばのお茶の先生や今は無くなったご主人がダイエーの創業者・中内氏やサントリーの当時の社長と友達と言う会社の社長だったと言うおばあちゃんが毎週のように予約を入れて、3階までふうふう言いながら上がってきてくれるが、私がまったくの無作法な人間でまったく美意識を持たずに、なんちゃっての和風の施術室を作っていたのであれば、そのような人達にもまったく相手にしてはもらえなかったであろう。
間違いなく、今在る私の立ち居振る舞いは、両親によって体に教え込まれたものなのだ。 私が物心つく前から、一日一日この日のために刷り込まれたものだと感じている。
当然、この私の頑固で融通の聞かない生き方もそうやって受け継いでしまったものだとも言えるのだけど・・・(笑、ただし、それは私なりにかっこよい生き方なのだからしょうがないのです・・・)
確かにそれで自分も嫌な思いつらい思いもしてきたけど、それは間違いなく財産。
多少、厳しいとは思うけど、この財産もやはり子供達に引き継いでいかねばならないと思っている。
それが済むまで、我が家には雷注意報が鳴り響くのだ。
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| 良い学校って? |
水曜日は甥っ子二人しか授業が無い。
上が中3生。 ちょうど、定期テストが返って来た頃なので、テストの点を聞いた。 相変わらず、う〜ん、とうなってしまうような点だ。
本人は本人なりに最近はがんばり始めたのは分かるのだが、今までのことを考えるとなかなか大変。 何せ、彼らもうちの子供たちと同類だしね・・・。
どうも、これはうちの家系らしい・・・少なくとも祖父の代からその傾向があることが生前の様子を聞いていて分かってきた。 そんな家に外から嫁に入ってきた母は、因果な家に生まれてきた子供たちがかわいそうだと時々こぼしている。 そうは言っても、そう言う血筋を選んで生まれてくる魂があるのだからしょうがないと言えばしょうがない。
で、成績の話がでると、いける高校の話が出てくるのが中3生。 一応今の平均点から行けそうな普通科の高校を下から5つほど挙げる。
「そんなにあるの?」
そういいながら、
「そこっていい学校?」
と聞いてくる。
一息ついて、逆質問。
「そのいい学校って、どういう面でのことや?学力って意味か?生徒の性格って意味か?学校の先生がって意味か?」
それが分からないと答えようが無い話だ。 浅はかな保護者たちは、「良い学校=成績の良い学校」と言う視点でしか子供に話をしていない。 しかし、社会は学校の成績でのみ成り立っているわけでない。
子供の見ているものによって、「良いもの」の意味は当然変わるのだから、せめて子供の前くらいは子供の見ているものに合わせてやってもらいたいものだ。
それができていないから、夢を持てずに刹那的な生き方しかできない若者が生産される。
案の定、甥っ子が言ったのは
「勉強のできる学校」
はぁ〜・・・
現状を説明した。
中学のテストは平均が60から70点の間になるように作られているが、彼の点はそれにはるか及ばない。 普通勉強のできる学校と言うのは上位30パーセントくらいまでの生徒が行く学校のことだ。 30〜60パーセントくらいが普通の学校。それ以下はイマイチの学校。
つまりは、5教科の平均点が80点以上ないとできる学校には行けないのだよ。 普通といわれる学校でも、最低ラインは55点くらい(できれば70点) それにすらはるかに及ばないのに、行ける学校としてあげた学校の中に勉強のできる学校があるか?と聞くのは普通ないだろう?(うちの長男と同じく普通ではないのだけど・・・)
こう聞く理由ははっきりしている。 そう言う思考パターンを親(ここでは姉夫婦)から刷り込まれているからだ。
激しく憤りを感じた。(本人にではない)
「あのな、今の状況で勉強のできる学校に入ろうと思ったら、毎日家で6時間勉強してみろ。それくらいしても追いつけるかどうかはお前がどれだけがんばろうという気持ちを持ち続けられるかによるぞ。」
甥っ子は目を白黒させている。
「もっと、自分のことを良く見ろ。 お前にもお前の得意なものとか、いくら努力してもうんざりしないものがあるやろ? 何で、それを人生の支えにしようとしない? 皆と同じ土俵で人生勝負する必要はないやろ? 学力と言う土俵で言えば、お前は100人おったら80番目くらいにおるねん。 学力と言う土俵で競うということは、学校でてからも、一般的なサラリーマンになって仕事を争うことになるねんぞ。しかもサラリーマンになろうとしても、なれんでフリーターしている奴、契約社員で一年先が見えない奴、仕事そのものに縁がない奴がいっぱいいるのが今の社会や。
勉強が好きで、サラリーマンといわれる人のする仕事の中に自分が好きだと思える職種があるのやったらそれはそれでがんばってもいける。 でも、今までのお前を見ていて、そう言う世界に好きなものがあるようにはおっちゃんには見えんのや。 それやのに、周りの人がそうするからとか、大人がそういっているからという理由だけでそんな世界に生きようとするのは、自分を殺すことに等しい。
もっと、自分を良く見ろ。 自分のために用意されている居場所が絶対にあるんや。 でも、それは自分のことをしっかり見てないと、見つからんねんぞ。 そこが見つかったら、不要な競争なんかせんでもいい。自分が納得するための努力を続けていくだけでいいんや。」
授業後、どもりながら、ためらいながら甥っ子は自分のなりたいモノについて話し出した。 科学者になりたいという。
う〜ん、なんともあいまいな・・・ この辺りがこういうタイプの子供の特徴でもあるのだけど。
じゃあ、どう言うことを調べたり実験するのが楽しいねん?と突っ込んでみると、電気が好きだという。
じゃあ、工業高校だ。
正直言って、今の彼の状況(学力だけのことではない)では、大学に入って、大学院に進んで・・・と言うコースは難しい。
だから、高校普通科から大学進学というコースは結果的に彼を丸腰で社会に放り出すことになるだろう。
工業高校の電気科なら、電気工事士になる道がある。 研究者の実験とは少し違うけど、実習の授業もそれなりに楽しめるだろう。 資格を確保しながら、大学への進学も本人のやる気と能力しだいでは残される。
そのまま仕事に就いたとしても、図面を見たり書いたり、実際に工事をしたり。 多少、コミュニケーションが苦手なら甥っ子でも、技術が伴えば信頼も得られるだろう。
それが結果的に正しいかどうかは分からない。
でも、状況と希望を合わせてみたら、そう言う選択肢もある。
単純に成績だけでは、良い学校を決めるのはできない。
自分を見つめて、本当に自分にとって最高の進路と最高の学校を見つけて欲しいと思う。
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| あなたの会話は聞かれている!? |
土曜日に子供の希望もあり篠山へ。
一ヶ月に一度は草刈に行かないと、大変なことになるしね。 行って見ると、隣の木が数本切られていたようで、なんとなく明るい。
こうやって見てみると、うちの土地の部分の木だけ、枝打ちがされていなくてみすぼらしいな・・・。
さっさと草刈をすませて、近くの田んぼへ・・・。 もう、水がはっているんだな〜。
小川沿いの堤の垣の手入れをしている農家のおじさんがいた。
長男は釣りがしたかったので、その人の前を通って、魚の居るところへ向かいます。
相手より先にしっかりと挨拶をしていくように言い聞かせます。
私は次男と田んぼの横の用水路を見に行きましたが、こちらにはかえるしか居ない・・・。
しょうがないので、長男の方へ向かいます。
私もおじさんに軽く挨拶。
針を入れるとすぐに食いついてくるようで、新たにちょうちょを捕まえて針にさして挑戦。
すると、何故かさおから糸ごととられて流れていきます。 浮きが浮き沈みしている様子から、まだ魚には針が刺さっているようです。
これは残酷な・・・。 釣り上げられたら、針ははずしてもらえるけど、このままでは死ぬまで糸を引きずっていることになる。
「どないするねん。あの魚、これからずっと針が刺さったままやぞ。 かわいそうなことして・・・。お前がいい加減に糸をさおに結んでいるから余計な苦しみを魚に与えることになったんやぞ。どうするねん?」
もともと、趣味での釣りと言う行為は好きでない。 食べるための殺生ならやむをえない。 しかし、自分が楽しむために、針で相手を傷つけると言うのは私の趣味ではないのだ。
それを何故、認めるのか? それは、私もそう言う時期を経て今に至っているからだ。 大事なのは経験を通して、生命に対する受け止め方を自分で作っていくこと。 人に言われた通りに、命を受け止めることには意味は無い。 それは理解ではないからだ。
親としてすべきは、アレがだめコレがだめと言うことではなく、アレをしろコレをしろと言うことでもない。 アレをしたらどう思うのか、コレをしたらどう感じるのかを確かめさせること。 そして、その時に足りない視点を補ってやること。
とりあえず、川辺に下りられるところはないかと探してみたが、どうも無い。
長男にもう一度、次の時にはきちんと糸をむずぶ練習もして、良く確かめてからするようにいった。
しばらく、車で休んでいると、次男が呼びに来た。
蛇を捕まえたらしい。 確かに、50メートルほど先で網の中で鎌首を立てているのが見える。
しかし、前は毒蛇だったのもあり、長男も少し慎重な様子。 前は知らなかったとはいえ、毒蛇を手で掴んでいたのだから、良く無事だったものだ。
近くまで行くと、前と同じ真っ黒。 う〜ん。 前と一緒じゃないの?
そう思って一度は放した。
しかし、長男はどうも納得いかないようだった。 そして、家に持ってかえって調べてみると言い出した。
とりあえず捕まえたので、先ほどのおじさんに聞いてみるように言った。 地元の人なら分かるだろう。
とりあえず毒蛇ではなさそうだというので持って帰ることになった。
車に居ると、そのおじさんがやって来た。 そして、長男を見ていて、生き物が好きそうだから、もしかしたらカブトムシの幼虫も好きかと聞いてきた。
何でもこの場所から2キロほど行ったところに幼虫がわんさか取れるところがあるらしい。 そこに案内してくれるという。
車に一緒に乗って、案内してもらうと、山の中に行くのではなく民家が集まっている方に向かっていく。 不思議に思っていると、大きな屋敷まできた。 なんでも、そこは会社の社長の別荘で、そのおじさんはそこの管理人もしているとのことだった。
その敷地の中に枯れ草などが集められて山になっているのがいくつかあった。 そう、それが腐葉土になってかぶとが卵を産みにくるのだ。
注意しながらスコップで土を掘っていくと大きな幼虫がごろごろ出てくる。 まるで芋ほりをしているみたいだ。
腐葉土の一つの山の3分の一ほど掘ったら30匹近くの幼虫が出てきた。
子供たちにしっかりとお礼をするように言って、一緒に丁寧にお礼を言った。
そして、元の場所に戻る途中に、そのおじさんが何故この場所に誘ってくれたのかを話し出した。
それによると、単に子供が生き物好きだったからではなかった。 先ほどの私と長男の釣りのときの会話を聞いていたと言う。
糸を持っていかれたときに、魚の方がかわいそうだと言っていたことが心に残って、こいつは只者ではない、とその言葉に惚れたのだと語り始められた。
いや、私はそんな大した人物ではないのです。 単に残酷な殺生が受け入れられない性格なだけなのです。
恐縮している私に構わずいろいろと話をされていた。
何でも、その辺りではボス的存在らしく、何事も率先してされるのだ。 先ほどの垣の掃除も自発的に集落を明るくするためにしているとのこと。
えらい人に気に入ってもらえたのかもしれない。
3年半前にこの地の小さなときにホームレスの小屋のようなものを作ったときには、住民が不審に思って警察の人が尋問に来たこともあった。
それから、3年。 暖かいシーズンだけ、月に一度来るかこないか。 別に地元の人とも出会うことも無いので、ほとんど話もしたことない。
ようやく、足がかりができたのかな?
それにしても、何気ない会話。 たまたま耳に聞こえてきただけの話が、その人の印象や評価を決めてしまうんだな。 そして、それがその人のその後を変えてしまうようなこともあるのだろう。
誰が聞いているかもわからない何気ない一言でも、そこには人生を左右するかもしれないプレゼンの言葉に劣らないエネルギーを持っている。
だから、どんなときでも目覚めた意識でいなければならない。 自分自身に責任を持ち続けて生きていくとは、そう言うことなのだと感じる。
かぶとくらいで何を、と思う人も居るかもしれませんが、私は学生時代にその一言でスカウトされて大学職員になって図書館司書をしていた訳で、ほんとに人生の方向性が変わることもあることを体験しております。
ご縁といえばご縁ですが・・・ それを作るのも自分の責任半分と言うことです。
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| 明日は我が身? |
今日は授業が一コマしかなかったので、8時前に帰る準備をしていた。
すると、40代と思われる男の人が上がってきた。
整体のお客様? でも、下においている教室案内を持っているな。 と言うことは、子供の塾探し?
すると、その男性は恐る恐る言った。
「あの、採点でも何でもいいので、働かせてもらえますか?ちょっと前まで塾で教えたりもしていたんですけど・・・」
がっくり・・・
指導する生徒がいなくて、さっさと閉めて帰るくらいにうちも生徒がいないのだから、人を雇う余裕などない。
「いや〜、うちも食うや食わずでやってるものでして・・・」
肩を落として帰っていかれた。
教育機会の平等化の名の下、公立の小中学校が民間の塾のマーケットに入り込んでこようとしている、このご時世である。
橋下知事が言ってたような、小学校の高学年と中学校の生徒向けに夜の無料補習を有料ボランティアを使ってやると言うようなことになれば、小規模の学習塾の多くはそれに食われてしまうことだろう。
元教員や教員志望の人材を使うということだから、ノウハウや指導の一貫性などの問題はあるだろうが、タダならそれでも構わないと、妥協する保護者は山ほどいる。
その結果どうなるか? 税金を余分に使って、しかも民間に失業者を余計に作り出すことになる。
本当にやれば木を見て森を見ずの政策だな。
そんな愚痴を言っていても、世の中の流れがそう言う方向に向かっているような感じだし、そうなれば明日は我が身だ。
皆が自発的に必要な学習をして、十分に学校の教師を利用すれば、通塾している8割方の生徒は元々お金を払って塾に行く必要は無いものだから、いつかうちのような塾はその役割を終える日が来ればよいとは思っている。
しかし、学校が塾の代わりをするから、我々のような中小の塾は要らなくなるというのは、ちょっと違うような気がする。
それは過剰サービスでしかないのではないかと思う。
橋下氏の偏った教育観、教育に対する価値観がそこにうかがえるような気がする。
さて、そのときのために、体力を付けて他の仕事をがんばれるようにしておかないとね。
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| 箕面と言えば |
日曜は天気が良いので、お出かけ。 ひさしぶりに北摂方面。
以前は職場が吹田で自動車で通勤していたので、よく良くそちらの方面は走っていたのだけど、独立してからはほとんど行く機会も無い。
で、今日の目的地は箕面。 箕面と言えば何でしょう?
我々の年代なら、スパーガーデン?猿? とにかく田舎のイメージがついて回る箕面。
新御堂筋の終着点は山すその田んぼの真ん中と言うイメージだったのだけど、久しぶりに行くと、そこには大きなショッピングセンターが・・・。
そこでフリマをやっているので、嫁が行きたいのだと・・・ しかし、こんなところに小さな町を移植したかのようなこのショッピングセンターは不釣合いでしょう? 10年後、大丈夫かいな?
フリマを覗いて、もう少し山の方へ走ります。
狭い車線に厳しいワインディング。 対向車もとろとろと走っています。 そう思っていると猿。 はい、猿です。
こいつらが邪魔しているからとろとろ走るしかないんだね。
もう少し良くと、

滝がありました。
はい、箕面の滝です。 やっぱり箕面と言えば滝でしょう。
高さ30メートル強。 那智の滝に比べるとこじんまりしているけど、そこそこの水量に見とれてしまいます。 しかし、おかしいな、この滝斜めに水が落ちてるよ。
ずっと見ていると体が傾きそうでした。
子供たちはここで少し水遊び。
それにしても、猿が少ないです。 最近は猿と人間の隔離が進んでいるのでしょうかね?
そして、勝尾寺。 山の真ん中に、こぎれいなお寺です。 由緒正しいお寺ですが、完全に観光地化している・・・ 拝観料を払い、山門をくぐると綺麗に整備された池。 その橋の下から霧。 ここはテーマパークか?
その奥では重機が止まっていて、何やら造成中。
う〜ん。 綺麗なのは良いけど、こういうのはあんまり期待していないんだけどな・・・。
そして、勝尾寺と言えば、だるま。 境内あちこちにだるまが転がっています。
子供たちはおおはしゃぎでだるまを探し回っていました。
しかし、何やら複雑な心境。
私はあんまり拝観料の必要なお寺には行かない。 なぜかと言えば、拝観料を一律で徴収するのは信仰心に基づくものではないからだ。
だから、それがないと維持できないお寺と言うのは信仰の対象としては見られない。 ただの観光地なのだ。
観光地だから、落ち着いてお参りもできない。 まじめにお参りをしていると、それをものめずらしそうに見ている観光客がいる。 そんなところでどんな信仰があるというのだ?
信仰の対象なら、それを自発的に支えようとする人が足りなくなったら、分相応に地味にすればよいし、場合によっては廃止すればよい。
維持になってお客を集めて、拝観料を集めて維持していこうと言うのでは、本末転倒でしょう?
確かに綺麗なお庭のお寺かもしれない、でも次は無いだろう。
私は同じお金をだすのなら、拝観料としてではなく、賽銭箱に入れる方が良い。 そして、ゆっくりとおまいりのできるお寺の方がやっぱり良い。
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| 贅沢な時間です |
GW前に、あるアイデアが頭をよぎった。
そのおかげで、GW中、何をしていてもそのことがちらちら頭に浮かんできた。
ただ、ちょっと込み入った内容についてのアイデアのため、何かをしながらだと深くそれを追求して考えることができない。
しかし、それでもそのアイデアは私にとってはちょっと革命的だったもので、その断片だけでもモノの見え方が今までとちょっと違っているのが分かる。
何だか見通しが良くなったとでもいのだろうか。
そうしている間にも、その見方を更に促すかのようなインスピレーションが働く。
間違いない。
じっくり考える時間が欲しい。
しかし、私は哲学者でもないのでいくら考えても、稼げるわけではない。 また、考えるための弁証法も持っていない。いいところ三段論法くらいだ。
だから、それが正しいかどうかを追求する能力もないし、とことんまで追求しているほどの生活の余裕も無い。
GWが終わり、普段どおりの生活に戻った。 今日は午前中に整体の予約があったが、後は夕方まで仕事は無い。
教室でパソコンのアイデアプロセッサを立ち上げて、アイデアを吟味しながら整理していった。 答えなんか無い。 ただ、自分なりにどこまで整合性を保てるようにアイデアを構築できるかが問題。
思い浮かぶままにパソコンに入力していく。 そして、入力したもののそれぞれの関係性を吟味しながら、並べ方や分類をいじる。 整合性が取れないものが出てきた。 どう理解し整理すれば整合性が取れるようになるのか????
ああじゃない、こうじゃない。
普段あんまり突き詰めて考えないから、頭が疲れるな・・・ でも、とても心地よい。
行き詰った・・・。ちょっと昼寝しよう。
ふと新しいアイデアが浮かんだのでキーボードをたたいて、また考える。
時計を見ると3時間近くやっていた。 もう、授業だ。
やっぱり、一日ではどうしようもないね。 大体のイメージは再確認できたけど、足りないところだらけだ。
でも、考えをまとめてみることで、矛盾や不足に気がつけるから、更に考えや理解が深くなる。
なんとなく、そう思うというような感覚的な生き方では決して到達できない世界。
でも、その先はやっぱり感覚の方が優先なんだな。
今はその助走期間。 きっと今していることは、一瞬に打ち消されて、さらに飛躍したものが現れるのだろう。
しかし、この時間があるからこそそれは導かれる。
無駄になることを承知して、とことん考えようとする。
なんとも贅沢な時間。
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| 何の用? |
基本的には私は同業者さんのHPは見ない。
極めて稀に、どうしても調べたいことがあってよその整体師の方のHPを拝見することはあるが、レイキ関係について言えば、一年に一度あるかないかだ。
ちなみに書籍についても、レイキについては書店でぱらぱらと眺めることはあるが、まともに読んだことはここ3年ない。
理由は3つ。 1 レイキについての記述が定義のはっきりしないあいまいな、しかも精神世界マニアには耳障りの良い言葉でごまかしごまかし書いているものが多いので、読んでいて胸糞悪くなる。
2 どのティーチャーも自分の責任で考えて話をするのを放棄しているのではないかと思わせるくらいに、レイキそのものの説明や、精神世界の解説が似たり寄ったり。
だから、正直言ってレイキ関連本やほとんどのHPはいくら読んでも、理解の参考にはならない。 いや、チャネリング情報などを入れてくるものを見ていると害でさえある。
3 今までに自分のサイトの文章やアイデア、レイキの解釈について、ぱくられたと思われるものに遭遇しているが、正直言って気分が悪い。 自分の思考の枠を超えて目から鱗のものを見たら誰でも喜んでそれを自分のものにしたくなる気持ちも分からないでもない。 しかし、それをしてしまっては外道だ。 私はそんなことをしたくは無い。 だから、足りないながらも自分の頭で考えたことしか書かない。 そうするためにはよそのHPや書籍を見るのは危険なのだ。知らず知らずにそれを引用してしまう恐れがある。
もし、まじめに読むことがあるとすれば、話題づくりのために批判の槍玉に挙げるためくらいか・・・。
しかし、そんな私の意図など関係なしに相変わらず私のサイトはよそのティーチャーに覗かれ続けているようだ。
私のサイトを槍玉に挙げるために覗きにきているなら、その挑戦受けてたとうと言うものだ。 勉強にきているなら、挨拶があっても良いようなものだろう。
しかし、そのような様子も無い。
今日もmixiに「九州レイキ本部」の人が私のページに足跡を残していたが、今日が初めてではない。 何の挨拶も無いのだが、一体何の目的があって何度も来るのだ?
良く分からない。 人がどう言っているかを気にしている間に、自分でレイキや精神世界について、もっと深く探求している方が良いと思うのだが・・・。
こういう世界は、寄り合い所帯になっちゃいけない。 自分の精神的な感応のみを頼りに、自分で立ち続けなければならないのだ。
それができないのに、人からお金をいただいていこうというのは虫が良すぎる。
精神世界にも自分を信じられる人がもっともっとも増えなければ行く末は厳しい。
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| 携帯ゲーム禁止条例 |
子供が嫁の実家に泊まりに行っているので、嫁と昼食を外に食べに行った。
すると後から中学生くらいの男の子二人と母親が横のテーブルに座った。
子供たちは席に着くなりそれぞれにゲームを始める。 母親が話しかけてもゲームをしていて、目を合わせない。
料理が来た。 皿に料理を取り分けられると、それを食べる間だけゲームを中断。 そして、またゲーム。
返事をしてもらえない母親が話しかけていると、一人が怒鳴りだした。
めっちゃ気分悪い。
これがうちの息子なら、間違いなくゲーム機は粉々。 顔は3倍に腫上がっていることだろう。
その前にゲーム機を買い与えることも、自分で買って所持することすらも認めるわけも無いので、そう言う惨劇は起こらないのだが・・・。
世にはタバコ禁止条例なるものもあるようだ、人の迷惑になるからと言うことだが、いっそのこと携帯ゲーム機禁止条例や、全面禁煙のように携帯ゲーム使用禁止の店が出てこないものだろうか?
携帯ゲームを街中でしていたら、補導員に補導されてゲームを取り上げ、親を呼び出して罰金を支払わせるのだ。
本当に日本の将来のことを考えたら、それくらいのことをした方が良いのではないかと思う・・・。
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