プロフィール

出張整体師・中村一弘(通称jonny)

店主:出張整体師・中村一弘(通称jonny)
大阪府枚方市在住。
生まれてほとんどをこの地で過ごし、終いには大阪府枚方市の御殿山駅前で整体院を開業してしまった、大阪特に御殿山大好き人間。

腰痛・肩こり・ストレス・疲労回復・寝違え・背中痛・骨盤修正・姿勢矯正何でもござれ。
優しく体に語り掛けるような施術で体のバランスを調整します。

人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになれる。

何故、整体がみんなを笑顔にするのかって?それは実際に当院の整体施術をご経験ください。百聞は一見にしかずですぞ。
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ブログ版・笑顔のススメ整体院/大阪府枚方市の出張整体師の本音
大阪府枚方市で小さな学習塾をしながら、笑顔をお届けするために出張整体師をしています。これを読むあなたに幸せと癒しの波動を送ります。
一周忌
日曜日は父親の一周忌法要。

親戚が集まって、仏壇のある母の家にお坊さんに来てもらうには母の家は狭いので京都のお寺に親族集合。

雨なのにみんな大変。

子供たちは人がいっぱいいるのでテンション上がりっぱなし。

おかげで法要の間もすき放題。

始まったときから三男は「もう終わりにして〜」と言っている。

私は一時間弱の正座に足がしびれて立てない・・・。


供養は大切なのは分かっているが、みんなで集まってたいそうにする必要が本当にあるのか?いつも思ってしまう。
お金を払って、形だけ整えたような法要に本当に法力がやどるのか?

まあ、供養をしたいと言う思いが多少なりともあれば、それは故人のあちらの世界での修行の応援にはなっているのだろう。
また、読経は道しるべになってはいるのだろうけど・・・


ならば、一人一人が仏壇の前で手を合わせるだけでも良いじゃないか。
お坊さんにはお寺で、故人のために読経をしてもらえばよいじゃないか。
と言うことになる。

わざわざ集まろうとすることに意味がある。
そこまでしようと思う人たちの気持ちが尊いなどと言う人もいるかもしれないが、気持ちの尊さだけでは供養は成立しない。

また、面倒だけど付き合いだからと言う人もそこには参加しているから、それは精神波動の不協和音ともなる。

そして、最後にお寺さんから檀家として毎年掛かる費用の請求書を渡された。
ふ〜ん、いろいろと行事があってお金が掛かるようだけど、誰でも一律で掛かるんだね。

これはもうサービス業だな。
お寺さんも存続することが第一義になっているようにすら思えてくる。

しかも、故人を人質にして。
病院なら患者が退院したら、それで費用の請求はされないだろうが、お寺は故人を受け入れるから、家族に信仰のかけらでもあると永遠に請求がなされるしくみだ。

葬式仏教とはよく言ったものだ。
生きている人間に、説法をし、如何に生きるべきかを説いて、布施を受け取り信者に功徳を積む手伝いをすると言う本来の仏教のあり方とはぜんぜん違うね。
死人をビジネスチャンスに変えているんだから。

どうも、大乗仏教が生まれ日本に伝わってきて、仏教は仏教を存続させることを目的にするようになってしまったように感じてならない。

だから、権力にすりより、欲望にすりより、現世での利益を与えることの方に力が入れられるようになってしまった。

そのために本当の意味での、人を教化する力を無くしてしまった。

現在の日本の仏教で、本当の真理に目覚められるのはお寺の教化によるものではなく、最初からその素養を持っている人間が自分が所属するお寺や教団の現状に疑問を持ったときだけだろう。

そこにどっぷりつかっている人たちには真の目覚めは起こらない。
そんな気がしてきた・・・。

幸いうちの父は分家だから、家としては本家筋の先祖の供養までは考えなくても良い。
だから、私の代のうちにお寺さんとの関係・今のお寺の檀家でいるのか、新しい納得のいくお寺を見つけて檀家とさせてもらうのか、神道への宗旨替えをするのか、在家の人間のままに先祖供養の形を作っていくのかなどをじっくりと考えていこうと思う。

そして、決まればあとは親父の霊にそのことをきちんと説明をすれば良い。
説明にしても、きちんと成仏していれば必要がないものだけどね。
なぜなら供養と言うものが、先祖の残した業を解消する作業であり、業が残っているから成仏ができないと言うことなのだから。
成仏していないから供養が必要になると言うことでもある。

そう考えていくと、先祖の霊障のある家と言うのは、家族のどれだけ信仰が厚くても結局は無知で、よほどいい加減なお寺さんに供養をお願いしていたと言うことだね。

それは結局はお寺さんの檀家への教化が代々不十分だったと言うことではないのか?
檀家が教化されないから、代々業を残していくことになる。

この日の法要で思った。
お坊さんは読経の後、説法をするものだと私は思うのだが、その話がただの世間話だ。
法要の意義も、残った家族がどう生きていくべきかなども何も話さない。
最初から教化する気もない。
お客さんとして、お金がもらえればそれでよいくらいに思っているのではないか?

これでは、僧侶は僧侶としての役割の半分も果たしていないじゃないか。
仏法僧の三宝を尊べとお釈迦様はおっしゃるが、その僧が僧としての本来の役割の半分も果たしていない日本の僧を尊ぶことは本当の信仰なのだろうか?

そんなことを考えながら、京都のお寺を出て、枚方のお墓に塔婆を置きに向かった。
そして、ぱらぱら雨の降る中、先日よりしていた写経の処置をした。

6枚を墓地に埋め、6枚を近くの川に流し、6枚を墓前で燃やす。
今までもいろいろな場面で処置をしてきたが、結構焼け残るのだ。
だから、今日もそうかと思っていた。

しかし、よく燃えるね。
少し、中に燃え残りがあると思っていたら、風が吹いて紙がひっくり返った。
すると、残っていたところにも火が移り燃え始めた。

よくできてるな〜

すべての火が収まったとき、わずかに黒い灰が残った。
完全な供養が済むと真っ白な灰になってしまうらしいので、まだ成仏しきっていないようだね。
来月もまた、写経を持ってやってこよう。

最後に般若心経をあげた。
車に乗ると雨が再び強く降り出した。

偶然と言えば偶然。
しかし、これをご縁といわずして何と言う。

ご縁に導かれて、写経をし、墓参りをして写経の処置をする。

そう考えると、今の葬式仏教もご縁の賜物か。
それ自体が一般人への問題提起となっているのなら、その存在意義も認められることになる。

ご縁に従い、私は信仰のあり方を考えて、生き方を模索していくことにしよう。

この記事に対するコメント

お疲れ様でした。
お寺って、お金掛かりますよね。
私の行ってる教会は寸志です。
記念祭っていうのがあって、みんなで、思い出の写真などを、並べたり、スライドで見たり、
語り合ったり・・・
仏教も、随分変わってきてるそうですね。
いろんな、方法がありますよね。
【2008/06/30 17:28】 URL | うま子 #- [ 編集]


うま子様
協会の維持はすべて寸志ですか?
昔の教会のような十分の一税?のようなものはないのですね?
そうなら、おそらくは多くの神社や檀家を持たないタイプのお寺と同じような関係を信者の方と結ばれているのでしょうね。
それが本来の姿だと思います。
教会と言うのは、日曜礼拝などの教化をする機会をしっかりと持っているので、各自が学びの場を維持していこうという意識が生まれ、喜捨をしようと言う気持ちを持ちやすいのではないかと思います。
本来仏教寺院や神社でもそうあるべきなのだと思います。
僧侶や宮司には説教ができない人が多すぎます。

記念祭については故人を偲ぶ会のようですが、仏教の法要とは意味が違うと思います。
なぜなら、キリスト教と仏教や神道では死後の魂のあり方が違うように説明されているからです。
それぞれの魂は各自の信仰にあわせた死後をしばらくは送ることになる以上、故人に対するそれぞれのイベントも同じ意義のものではありえません。

死者に対する残されたものの対応はいろいろあるわけですが、生き死にの仕組みの真理は一つです。
宗教の教義というものは、それぞれの宗教の生まれた時代にいた人間の理解力、許容度にあわせた部分的な真理しか残していません。
ですから、今のわれわれは信仰する宗教の教義の枠をあえて超えていかねば、本当にすべてのカルマを解消することはできないのではないかと感じています。
【2008/06/30 18:15】 URL | #- [ 編集]


法事の後のお坊さんの説教。
前夫の実家では、禅宗のお寺さんでしたが、お坊さんが年取って代替わりしたら
息子のお坊さんのほうがはるかに素晴らしかったです(笑)
お経を唱える声も、お説教の内容も、「あ〜、勉強してるな」って思わせました。
確か、一日に一度は心静かに自分を振り返る時間を持ちなさいと、瞑想の大切さを話したり、人が死ぬときは息を引き取り、生まれるときはその引き取った息を、またこの世に産声としてはあげるなどと、そんな話をしていました。
その時は、なんか、嬉しかったですね。。。
【2008/07/05 23:35】 URL | ぶるーれーす #KT/EVg2o [ 編集]


ぶるーれーす様
さすが禅宗のお坊さんですね。瞑想の大切さを良く分かってらっしゃる。
如何に生きるかを語れずに仏教僧とは言えません。
そう言うお話をもっとたくさんの方が耳にするようになれば、ちょっと世の中変わるんじゃないかなと思います。
【2008/07/05 23:56】 URL | #- [ 編集]


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