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お疲れ様でした。
お寺って、お金掛かりますよね。
私の行ってる教会は寸志です。
記念祭っていうのがあって、みんなで、思い出の写真などを、並べたり、スライドで見たり、
語り合ったり・・・
仏教も、随分変わってきてるそうですね。
いろんな、方法がありますよね。
【2008/06/30 17:28】
URL | うま子 #- [ 編集]
うま子様
協会の維持はすべて寸志ですか?
昔の教会のような十分の一税?のようなものはないのですね?
そうなら、おそらくは多くの神社や檀家を持たないタイプのお寺と同じような関係を信者の方と結ばれているのでしょうね。
それが本来の姿だと思います。
教会と言うのは、日曜礼拝などの教化をする機会をしっかりと持っているので、各自が学びの場を維持していこうという意識が生まれ、喜捨をしようと言う気持ちを持ちやすいのではないかと思います。
本来仏教寺院や神社でもそうあるべきなのだと思います。
僧侶や宮司には説教ができない人が多すぎます。
記念祭については故人を偲ぶ会のようですが、仏教の法要とは意味が違うと思います。
なぜなら、キリスト教と仏教や神道では死後の魂のあり方が違うように説明されているからです。
それぞれの魂は各自の信仰にあわせた死後をしばらくは送ることになる以上、故人に対するそれぞれのイベントも同じ意義のものではありえません。
死者に対する残されたものの対応はいろいろあるわけですが、生き死にの仕組みの真理は一つです。
宗教の教義というものは、それぞれの宗教の生まれた時代にいた人間の理解力、許容度にあわせた部分的な真理しか残していません。
ですから、今のわれわれは信仰する宗教の教義の枠をあえて超えていかねば、本当にすべてのカルマを解消することはできないのではないかと感じています。
【2008/06/30 18:15】
URL | #- [ 編集]
法事の後のお坊さんの説教。
前夫の実家では、禅宗のお寺さんでしたが、お坊さんが年取って代替わりしたら
息子のお坊さんのほうがはるかに素晴らしかったです(笑)
お経を唱える声も、お説教の内容も、「あ〜、勉強してるな」って思わせました。
確か、一日に一度は心静かに自分を振り返る時間を持ちなさいと、瞑想の大切さを話したり、人が死ぬときは息を引き取り、生まれるときはその引き取った息を、またこの世に産声としてはあげるなどと、そんな話をしていました。
その時は、なんか、嬉しかったですね。。。
【2008/07/05 23:35】
URL | ぶるーれーす #KT/EVg2o [ 編集]
ぶるーれーす様
さすが禅宗のお坊さんですね。瞑想の大切さを良く分かってらっしゃる。
如何に生きるかを語れずに仏教僧とは言えません。
そう言うお話をもっとたくさんの方が耳にするようになれば、ちょっと世の中変わるんじゃないかなと思います。
【2008/07/05 23:56】
URL | #- [ 編集]
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